- 20代で親の介護ってどんな感じ?
- 若者ケアラーのリアルって?
- ぶっちゃけ若くして介護ってどう?
このような疑問やお悩みにお答えしていきます
最初に言っておきます。
年齢に関係なく、介護は他人事ではないですよ。
こんにちは、なつゆめです。
22歳でうつ病父の介護と借金に襲われた元介護事務のアイドルオタクです。
介護なんて本当に直面するの?
親は元気だし若いし、もし介護になっても施設に入れればいいかな。うちはきっと大丈夫だろう。
それ、ちょっと問題ですよ。
明日、あなたのスマホに一本の電話がかかってくる可能性は十分にあります。
「すいません。○○病院ですが、お父様が脳梗塞でこちらに搬送されました。今すぐ来てください」
この一本の電話が介護の始まりになるかもしれないのです。
この記事では、私の実体験を元にリアルな現実とそれに対する対策についてお話していきます。
正直、介護生活は厳しいです。
若くして介護が始まると、尚のこと厳しいです。
精神論・根性論を語ってしまいますが、知識や介護保険による支援があったとしても、結局のところ「どれだけ気持ちを保てるか」で介護生活が決まると言っても過言ではありません。
20代で親の介護を背負ってしまったら
現実を受け止めた上で、試行錯誤を繰り返し、いかに気持ちを保つか。
22歳でうつ病介護が始まる

私が22歳の時、父が60歳の時、うつ病介護が始まりました。
介護が始まるきっかけと言えば、認知症や脳疾患や転倒が約半分を占めるのですが(参照:内閣府)、我が家の場合、主な原因は「うつ病・糖尿病」でした。
うつ病と糖尿病と聞くと意外と身近に感じるかと思います。
どちらも年齢に関係なく誰にでも起こりうる疾患で、糖尿病に関しては日本の成人の6人に1人がなる病気だそうです。
決して遠い世界の話ではないんですよね。
では、なぜ、そんな身近で誰にでも発症し得る疾患で要介護状態になってしまったのか…
それは複数の疾患が重なることで、心身への負担が何倍にも膨れ上がり、結果的に人の手を借りなければ生活できなくなってしまうからです。
父が要介護状態になったきっかけは措置入院
父が要介護状態になったきっかけを簡単ではありますがお話します。
単刀直入に申し上げますと、包丁を振り回した末の措置入院でした。
私が22歳の夏、社会人一年目で仕事が楽しくて仕方なかった頃、事件は起きました。
長年、父はうつ病と糖尿病を患っており、健康とは言えない心身状態でした。
うつ病と診断されていましたが、おそらく他の精神疾患も併発していたように思います。
とにかくかまってちゃんで、自分の思い通りにならなければ力でねじ伏せる。利己的で自己中、気に入らないことがあると誰に対しても怒鳴る手を出す。そんな人格です。
所謂、モラハラ系人間です。
母に対しても暴力をふるう姿を幼いころからずっと見てきたので、私自身も父に対しては良い印象を持っていなかったのです。
そのような事情もあり、父が「体調が悪い」と言っても見て見ぬふりをしていました。
父からすれば「なぜ体調が悪いのに誰もかまってくれないんだ。優しくしてくれないんだ。理解してくれないんだ。」そういう解釈だったのでしょう。
ある日、うっぷんが溜まった父の感情は爆発しました。
気に入らないことがあると気に入らない対象に手を挙げる父ですが、その日は母に向かって包丁を持って迫っていったのです。
父の目は正気を失っており、まともにコミュニケーションを取ることもできず、話しかけても生返事しか返ってこない。
動物的本能で包丁を持って母に向かっていきました。
目の前で父が母を殺そうとした瞬間に、私は行動に出ていました。
父が持つ包丁を取り上げ父を押し倒し乱闘、その間に母が警察を呼んで、父は保護されました。
それまでも精神科に入院させることを試みていましたが、本人が嫌がるため入院可能な施設には連れていくこともできず。
警察に保護されたことがきっかけで、行政の命令により父は精神科へ措置入院(強制入院)となったのです。
精神疾患患者や自己愛性人格障害の人間を間近で見たことがない人からすれば、全くもって意味不明の行動ではありますが、この決定的な事件が起こる前も治療が必要なレベルの精神状態の時は何度もありました。
その措置入院以来、糖尿病の悪化による身体の苦痛も相まって、父は自分のことが自分でできないようになりました。

当時の父のスペックはこんな感じ
歩行 | 可能(これがまた逆に厄介) |
意思疎通 | 気分の波があり会話が成り立たない時あり |
記憶 | 薬の副作用により記憶障害あり |
精神状態 | 自傷他害の恐れがあるため見守り必要 |
トイレ・お風呂 | 元々の下痢症が悪化オムツ着用。気分の波があるためお風呂も不定期 |
通院 | 1人ではできない |
認知症の諸症状に近いものでした。
身体介護はほとんどないので、一見楽そうに見えますよね。
とはいえ、動けることが逆に厄介で、自傷他害の恐れがあるため常時見守りが必要でした。
精神疾患介護というとパっとイメージしにくいかと思いますが、認知症介護と同じで、物忘れがあったり、言ってることが支離滅裂だったり、自己表現が難しかったり、徘徊したり。
そのような症状に対して日々状態が変わる中で手探りで向き合っていく日々でした。



精神疾患介護は認知症介護に似ています
退院までにやったこと
入院中は食事や薬管理を徹底的に行い、カウンセリングを受け、優しい看護師さんに恵まれ状態は改善していました。
正直、私自身はその事件以来、父と会うのが怖くてたまらない状態でしたが、入院中の穏やかな様子を見ていると家でも大丈夫かな~なんて思っていたのは甘い考えでした。
入院をするとずっとその病院にいられるわけではなく、ある程度症状が改善したら在宅に戻る必要があります。
目安として3カ月です。
なんの準備もなしに戻ってくるわけではなく、在宅での生活ができる環境を整えてから自宅に戻ります。
当時、父はまだ60歳くらいだったので介護保険ではなく精神障害の自立支援サービスを利用することになりました。
自立支援サービスは病院の相談員(医療ソーシャルワーカー)が最寄りの事業所に繋げてくれます。
在宅介護に向けて生活の支援をしてくれるヘルパーの導入をしていたのですが、利用に際しての諸々の手続きをどのようにしていたのかが全く記憶にありません。
事件の記憶が鮮明すぎて手続きに関してどう動いていたのか自分でもわからないのですが、恐らく医療ソーシャルワーカーと事業所の相談員を中心に手配をしてくれたのだと思います。
生活状況が一遍する中で家族や本人が同様していても、生活のお手伝いをしてくれる福祉従事者はたくさんいてくれるのだなと、今改めて感じています。



当時のMSWさんには本当に感謝しています
退院後の父の暮らし
精神科への措置入院から退院したのは、季節が変わり秋になっていました。
退院後の父のスペックは上記に記載した通り、認知症に似たような状態です。
とはいえ、日によって調子も全く違うので一見普通に生活できるようにも見えます。
そんな父の生活は主に私が中心に支えており、週3回のヘルパーさんと週2回の訪問看護さんにお世話になりました。
母親はどうしていたのか?
父は母を見ると攻撃的になり精神症状が悪化します。
そうなると余計に面倒なので、基本的に父と接する親族は私だけでした。
両親がそのような状態なので幼い頃から私と母で同居、父は自宅から徒歩数分のマンションに住んでおり、毎日私がマンションに父の様子を見に行く形です。
家事全般、食事、買い物。生活の援助が基本です。
生活環境さえ整えれば、一人で食事や着替え、トイレは行けます。
1番手がかかったのが傾聴です。
とにかく精神状態が不安定なので、夜になると一人でいるのが不安らしく、ずっと話し続けます。
夜通し話し続けることもあり、ずっと私が話を聞く状態。
聞くのを辞めると暴れるか徘徊か…
こちらが鬱になりそうでした。



この時は「介護」と思っていませんでしたが、ある事がきっかけで「これは介護なんだ」と認識するように
65歳になったら自立支援から介護保険へ
父の生活の支援は精神障害の自立支援サービスにお世話になっていました。
自立支援サービスは障害のある人の生活を支援する公的なサービスです。
しかし、65歳を目前にしたある時。
自立支援サービスを受けている事業所から「65歳になったらうちのサービスは受けられなくなります。介護保険の事業所を紹介するのでそちらと契約を結んでください」と言われました。
障害サービスを受けている人は65歳になると半強制的に介護保険のサービスに切り替わり、それまで無料で受けていたサービスも有料になります。
- 障害福祉と高齢者福祉の制度の違いに戸惑った
- ケアマネやヘルパーは高齢者介護のプロではあるが精神疾患介護のプロではないので、父への接し方に苦労していた
サービスの移行は事業所同士と包括が連携し、こちらはハンコを押すだけで特に何もせずスムーズにできました。
とはいえ、父は精神疾患介護が必要だったため、精神疾患への知識が乏しい介護保険事業所によるサービスは、双方にとって慣れるまでに時間がかかりました。



介護保険に切り替わったことで、今までやっていたことが「介護」だったことを実感しました
20代でのうつ病介護と仕事で心身ボロボロに


そんなこんなで20代で親の介護を背負うことになったのです。
介護が始まった当初はシフト制のサービス業でやりがいを感じながら働いていました。
人間関係にも恵まれ仕事内容も楽しくて仕方がなかったのですが、朝5時~23時くらいまでの間でシフト制の勤務体制だったため、どうしても父の介護と両立することができず転職しました。
福祉系大学を卒業していたので「未経験でも介護事務なら採用してくれそうかな?」と思い、家から近く定時退社可能な介護事務へ転職したのです。
そしてここで初出し情報ですが、父は障害年金暮らしな上に借金まであります。
そのため、私と母で父の借金を払いながらの生活は金銭的余裕が全くありませんでした。
そこで始めたのがパソコンを使っての副業です。
父の介護×介護事務×副業=当時の私の過労死スケジュールがこちら
4時 | 起床即→副業 |
9時 | 本業の介護事務開始 |
仕事中も介護関係者や父との電話が鳴り、気が休まる時間がありません。 | |
12時 | 高速でご飯を食べて副業 |
17時 | 退勤即→父の自宅へ |
家事や傾聴やなんやかんや。 | |
20時 | 早ければこの時間に帰れるので帰宅即、ご飯を食べながら副業 |
0時 | 就寝(父の電話で起こされることしばしば) |
今考えるとよく死ななかったなと思うスケジュールでしたが、私の身の回りのことは全て母がやってくれていたのでなんとか生きていました。



父の家に行く度に動悸してました
20代からの介護で大変だったこと


親の介護というと漠然と「大変そう」というイメージがあると思いますが、私自身が感じた「親の介護で大変だったこと」のお話をしていきます。
休む暇がない
前述したスケジュールの通り、朝4時から夜0時まで動きっぱなしです。
寝ている時間に関しても、24時間365日フル稼働の家政婦のごとく呼び出されます。
当然、食事やトイレお風呂、自分が生きていくために必要な行動はしていましたし、移動時間などの隙間時間はありました。
しかしその、生命維持時間と隙間時間ですら、父のことが頭から離れず、気が休まる時間は一切ありませんでした。
デイサービスも嫌がって利用できなかったので基本的にフル在宅でした。
とはいえ、症状に波があるので絶好調の時は1日ほったらかしでも1人で生活していたので、その点は運任せではありますが助かりました。
遊ぶ時間がない
私自身の生命維持をするだけで精一杯だったので当然遊ぶ時間もありません。
とはいえ、20代の遊びたい盛りです。
恋愛もしたいし、友達とも遊びたい、オタクなのでライブにも行きたいです。
そこで私が取った行動は
- 父を良好な状態に保つ
- ショートステイ利用を鬼説得
父は症状が良好な時は1人で生活できます。
なんなら毛嫌いしている母に対しても介護を受け入れることもあるので、遊びの予定を入れたい時は、セレブ対応をして父の精神症状安定を図ります。
そして介護保険を利用するようになってからは「このままでは私が死ぬのでお願いだからショートステイ利用してください(土下座)」と何度もお願いをして、しぶしぶショートステイを利用してくれるようになりました。
▶ショートステイはこちらで探しました



そんなこんなで介護をしているにしては、割と遊んでいたと思います。
金もない
父は障害年金暮らし、貯蓄なし、借金あり、金なしのスケールが桁違いでした。
そして長年母の稼ぎで生活していました。
母を毛嫌いしているとはいえ、母なくしては生活が成り立たない状態だったので離婚も嫌がり生活保護も難しかったです。



生活保護窓口のお姉さんには何度も門前払いを食らいました
介護で1番大切なことはお金です。
なんだかんだ世の中お金だと実感するほどに、介護ではお金がかかります。
お金さえあれば、私が副業をすることもなく、恐らく父の精神状態ももう少しマシで、使えるサービスの幅も広かったと思います。
手続き諸々が意味不明
父が最初に利用したのは精神障害の自立支援サービス、そして65歳以降は介護保険サービスと自立支援サービスの併用。
20代の若造からすると、社会に出たばかりで税金に仕組みへの理解も怪しい中で、親の社会保障に関する制度を理解すること自体難しかったです。
その点は、母と協力しながらケアマネにも頼りながら進めていきました。
キャリアプランから脱線
22歳新卒すぐの介護だったため、思い描いていたキャリアプランから大きく脱線しました。
- 残業ができない
- 出張もできない
- 休みすぎて有給がなくなる
- 断腸の思いで転職
普通ならみんなやってることができずに、周りと比べて落ち込む日々でした。
職場の人の目が痛い(転職時に疑いの目)
「親の介護で休みます。早退します。」
「親の介護で退職しました。」
「親の介護と両立できる事務職を希望しています。」
その度に疑いの目を向けられているような気がしました。
実際に悪意を持って「親の介護なんて嘘だろ」みたいなことを言ってくる人はいませんでしたが、冗談半分で「ほんまかぁ~?(笑)」などと声をかけてくる人はいました。
その度に、顔で笑って心で泣いていました。
介護休暇や介護休業などの実績がある企業はまだ少なく、家族の介護への理解もまだまだ進んでいないと感じています。
育児と同じように介護をしていても働ける環境が必要ですし、必ず誰もが直面する問題です。



介護そのものの大変さより、自分の生活が思うようにならない大変さの方がきつかったです
20代からのうつ病介護がなんとかなった理由


いろいろ問題は山積みだったとはいえ、介護鬱にも介護殺人にも至らず今日まで家族そろって生きているのにはいくつか要因があったように思います。
介護福祉の知識があった
私自身、福祉系の大学に通っていたこともあり介護に関する知識は人より豊富でした。
細かいことまでわからなくても「介護保険」や「ケアマネ」など、言葉や制度の存在自体を知っているだけでもよかったと思っています。
実際に介護事務として働きだしてからは、介護の内情を知ることで私生活に活かすことができました。
施設利用に関しても基礎知識があったため、父の状態や金銭面でどの施設が最適かなど自分で判断することができたのです。
知識がない場合、全面的にケアマネや介護従事者に頼るのが1番かと思います。
副業で稼げた
お金がなかったのは事実ですが、それでも生きていかなくてはなりません。
たまたま始めた副業が上手くいったことは大きかったです。
副業で稼ぐことができたので、自費サービスを使ったり宅配弁当を利用したりと介護の負担が少なくなることはもちろん、心の余裕もできました。
お金がないなら副業をしろ!と無理には言いませんが、事実として介護しながら稼ぐことは出来たので視野に入れてみるのも良いかと思います。
母のサポートがあった
ほぼシングル介護ではありますが、私の身の回りのことは全て母に頼っていました。
20代の嫁入り前の女性が実家暮らしで母親に炊事洗濯をやってもらうのはいかがなものかと思いますが、そのサポートがあったお陰で、私は父の介護に集中することができました。
また、介護は複数の協力者(身内)がいた方が楽と思いがちですが、逆に分担せず誰か一人が集中してやった方が手っ取り早い場合もあるので、私はそのタイプだったように思います。
推しメンがいた
控えめに言って、22歳でDV毒親の介護と借金に襲われたら、メンタルが病まない方がおかしいです。
私は生粋のアイドルオタクなのですが、推しメンに命を救われたと言っても過言ではありません。
精神論や根性論はあんまり好きではないのですが。
とはいえ、介護に直面すると、いくら知識があろうと介護保険に頼ろうと、一筋縄ではいかないことがあるのです。
結局のところ、どう気持ちを保つか。という領域になってくるんですよね。
気持ちの面で私を強く前に導いてくれたのは紛れもなく推しメンでした。
対策は早いに越したことはない


うちの親は健康だし、精神疾患でもないし、毒親でもないし、親子関係も良好だし、借金も多分ないし、まだ若いし、大丈夫かな~!と思っているそこのあなた。
ちょっと待ってください。
「すいません。○○病院ですが、お父様が脳梗塞でこちらに搬送されました。今すぐ来てください」
今正にこのような電話が、今お持ちのスマホにかかってきてもおかしくありません。
現実を知った上でどう対処するかがわかっていれば、避けられるリスクはあります。
親のことを知る
- 親がいくら貯金しているか
- 親がいくつ口座を持っているか
- どんな保険に入っているか
- 飲んでいる薬は何か?
- 通っている病院はあるのか?
これだけでも構いません。
親のことを知っておきましょう。
そしてもし話せる余裕があるなら、要介護になった時のことを話してみてください。
- 誰にお世話になりたいか
- 施設入居も視野に入れて大丈夫か
- 延命はしたいのか
節目の50歳60歳の時にエンディングノートをプレゼントして、介護のことを考えるきっかけを作ってみても良いかもしれません。
親と面と向かって介護のことを話すのは気が引けますが、たったそれだけで未来のあなたとあなたの家族が楽になります。
▼エンディングノートの記事です。参考にしてください。
制度を知る
介護が必要になった時には多くの人々が手を貸してくれます。
ケアマネが介護保険について教えてくれたり、ヘルパーが生活のサポートをしてくれたり、福祉用具でベッドを借りれたり、訪問看護で健康チェックをしてくれたり、デイサービスで日中お世話になったり、施設入居にもいろいろな種類があったり…
20代や30代だと「介護保険」という言葉自体に馴染みがないかと思うので、まずは介護保険の全容について知るだけでも構いません。
介護保険は基本的に65歳以上の方が使える制度ですが特定の条件を満たせば40歳から使うことができます。
- 末期がん
- 関節リウマチ
- 筋萎縮性側索硬化症
- 後縦靱帯骨化症
- 骨折を伴う骨粗鬆症
- 初老期における認知症
- 進行性核上性麻痺、大脳皮質基底核変性症及びパーキンソン病
- 脊髄小脳変性症
- 脊柱管狭窄症
- 早老症
- 多系統萎縮症
- 糖尿病性神経障害、糖尿病性腎症及び糖尿病性網膜症
- 脳血管疾患
- 閉塞性動脈硬化症
- 慢性閉塞性肺疾患両側の膝関節又は股関節に著しい変形を伴う変形性関節症
要介護状態になると自らSOSを出さなければ誰も助けれくれません。
日常生活で困ったことがあっても自分から相談に行かなければ支援は始まりません。
まずは制度を知り、サービスを知り、そして自ら動くことが必須になってきます。
介護に対する心構えをしておく
結局のところ精神論に辿り着いてしまうのが介護。
いくら社会保障の力を借りようと、介護そのものよりも自分自身の生活が一変することによる辛さが大きいように思います。
介護の現実を知り、現実を受け止めた上で、時には冷静に事務的に判断しなければならない場面も出てきます。
介護の現場に直接触れていない親族からとやかく言われることもあるでしょう。
本人が自分で判断できず家族が苦渋の決断をする場面もあるでしょう。
いろんなサービスがあっても本人が拒否する可能性は大いにあるでしょう。
そんな時、いちいち絶望するのではなく、泣きながらでも3歩進んで2歩下がるでもいいから、進む力が大切です。
家族の介護に直面してから現実で現実を知るのではなく、事前に起こり得る現実を知っておくことで「まあそういうこともあるか」などと思えるかもしれません。


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